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レンタサイクル
アトイーズ |
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2005.8.18第11回のレーススタート直後

会場全体。左がスタート地点。右側の折り返し地点まで漕ぎ、
中央のゴールまで戻る。会場周囲は菱(ヒシ)が繁茂していた
が、きれいに取り除かれている。 |
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諏訪湖独特の漁船として泥舟がある。この泥舟に1チーム5人〜8人が乗り込み、手漕ぎで時間を競う楽しいレースがアホウ丸大会である。
この競技は2005年に第11回を数え、御柱の年を除いて毎年行われてきた。クラスは小学生、中学生、レディース、一般の部など7クラスに分かれ地元の人たちの交流の場になっている。
そもそもこの「アホウ丸」という名前の由来は遠く江戸時代にさかのぼる。
江戸時代の末期、豊田地区出身の伊藤五六郎は諏訪湖の度重なる氾濫を諏訪湖の水の出口(釜口)にある浜中島が水の流れを妨げていると考え、高島藩の許可を得て、私財を投げ打ち、大きな泥舟を作り、人を雇って始めた。
しかし、重機のない時代に人手だけでこの事業を行うのは大変だった。途方もない事業、遅々として進まない作業に対し、いつしか村の人は五六郎のことをあざけるようになり、泥舟のことを「アホウ丸、アホウ丸」と言って、からかった。
事業完成後、洪水は大幅に減り、豊田地区にも水田が増え、豊かな村となった。
現在、釜口には水門ができ、釜口水門として諏訪湖から天竜川に放流する水量を管理している。
伊藤五六郎の顕彰碑がガラスの里横にある。
アホウ丸大会は以上の通り伊藤五六郎の偉業を後世に伝える目的のほか、諏訪湖浄化意識の啓蒙の目的もあり、レース終了後は湖畔の清掃も行う。 |
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ガラスの里前で行われます。アトイーズから自転車で20分の距離です。 |
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2005年(第11回)の開催日7月18日 午前7:30集合
伊藤五六郎
1806年生まれ。毎年のごとく洪水に苦しむ農民の様子を深く憂い、二十代の若さで1828年有賀村外13カ村名主の連署を得て高島藩に請願し遂に天竜川釜口にあった浜中島(面積約9,900平方m)撤去の許可を得た。この島は湖面上1.8mの高さだったがその水面下約60cmの深さまで撤去するため、幅2.7m、長さ14.5mの運搬船(泥舟)9艘を作った。 1830年12月に工事は完成。これにより諏訪湖の水位は下がり、洪水は減った。1868年(明治元年)11月他界。
(顕彰碑の文章を一部編集) |
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アホウ丸大会 |
諏訪市のHP |
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天竜川水紀行 |
長野日報のHP |
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