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今井邦子は本名山田くにえ。父山田邦彦、母(中田)たけの次女として明治23年5月31日四国徳島市に生まれた。明治25年2歳で下諏訪町の祖父母の家に引き取られる。17歳頃から河合酔茗主幹「女子文壇」に投稿し、文学に情熱を燃やす。明治40年、祖母が亡くなると、妹とともに北海道函館の父の家に引き取られたが父母と馴染めず、明治42年、20歳のとき、河合酔茗を頼って家出し上京、翌年「中央新聞社」の記者となり、44年、同社の記者今井建彦(後、衆議院議員)と結婚、今井邦子と改姓した。大正2年、前田夕暮主宰「詩歌」に入会したが、大正5年(27歳)、生涯を決定付けた「アララギ」に入会、島木赤彦に師事した。大正15年赤彦死去後、アララギの中で微妙な立場に立った邦子を支えてくれたのは平福百穂(ひらふく ひゃくすい)と中村憲吉、であったが、ともに昭和8年、同9年に他界。邦子は「アララギ」を離れ、昭和11年、女流短歌雑誌「明日香」を創刊、昭和の代表的女流歌人として活躍をするとともに後進を育てた。昭和20年、下諏訪に疎開。同年東京千駄ヶ谷の自宅が空襲により蔵書、資料などすべて焼失。21年「明日香」を復刊したが、23年7月15日心臓麻痺にて急逝、享年58歳。
代表作として、歌集「片々」、「光を慕ひつつ」、「紫草(むらさきぐさ)」、「明日香路」、「こぼれ梅」。
随筆評論として「茜草」、「和琴抄」、「秋鳥集」、「歌と随想」、「女性短歌読本」、「樋口一葉」などがある。 |
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●今井邦子の歌碑は下諏訪に2基存在します。
「眞木ふ可き谷よりいつる山水の常あ多ら之きいのち阿ら志免」
眞木(まき)ふかき谿(たに)よりいづる山水(やまみず)の常あたらしき生命(いのち)あらしめ
大正14年「山水」と題する歌で『紫草』に収められている。場所は下諏訪町花見新道。中山道、甲州街道の合流点から和田峠側、慈照寺手前右側。高さ2mの大きな歌碑であるがわかりにくい場所にある。
拡大写真と場所は地図参照。
「高山の雲のうこきハつねなけれこヽろにとめてわれハさひ之む」
高山の雲のうごきは常なけれ心にとめて我は寂しむ
場所:下諏訪町高浜の諏訪湖畔。 拡大写真と場所は地図参照。
邦子生誕百年を記念して下諏訪観光協会が建てたもの。
●下諏訪博物館・赤彦記念館にも書簡など貴重な資料があります。 |
| 資料出典 |
このページは主に「今井邦子の短歌と生涯」(樹木叢書) 堀江玲子著 短歌新聞社発行 1998年1月発行(ISBN4-8039-0918)を参考に作成しました。 |
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