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その昔、この釜口水門のあたりには弁天島という小島があって、美しい景色のため葛飾北斎が描いたほどの景勝地でした。一方、諏訪湖は上川、砥川など31もの河川が流れ込んでいます。その出口は岡谷の釜口水門だけで、ここを起点として天竜川は駒ヶ根、飯田の伊那谷を通って浜松へと流れています。
この諏訪湖が受け持つ流域面積は湖面積の40倍であり、琵琶湖の5.4倍から比べるとはるかに大きな面積で、ひとたび大雨が降るとたちまち氾濫することになります。
 このため、この治水工事は江戸時代の天正年間頃から始まり、また天明時代からは諏訪湖周辺の新田開発のために、天竜川の浚渫、天保元年の浜中島の撤去、明治元年の弁天島などを行ってきましたが、昭和に入って本格的な治水事業に着手し、昭和12年に釜口水門(旧水門)が完成しました。しかし、その後、昭和25年、36年の大洪水により計画を見直さざるを得なくなり、昭和63年7月に旧水門の3倍600トン/秒の放水量を持つ現在の水門が完成しました。

小口太郎像:「琵琶湖就航の歌」を作詞した小口太郎は釜口水門の北側、湊地区の生まれです。

釜口水門へは諏訪湖を周回する道路を進めば行けます。上諏訪からですとほぼ対面になりますので時計回りでも反時計回りでも距離的には同じぐらいと考えられますが、時計回り(原田泰治美術館、ガラスの里経由)の方が判りやすく走りやすいでしょう。時間的には30分程度かかります。

水の資料室 釜口水門南側(天竜川左岸側)には水の資料室があり、釜口水門の歴史などについて知ることができます。入場無料。
アホウ丸 伊藤五六郎は、江戸時代末期に、私財を投げ打って大きな泥舟を作って、諏訪湖の氾濫をなくそうと浜中島を撤去しました。この泥舟は「アホウ丸」とからかわれたと言われます。
現在、伊藤五六郎翁の偉業をたたえ、「豊田アホウ丸大会」が諏訪市豊田の有賀石船渡の湖上(ガラスの里前)で毎年7月下旬に行われています。
 また、伊藤五六郎の顕彰碑がガラスの里と「青空新鮮市」の間にあります。

参考Web
うなぎやさん 諏訪湖はうなぎやさんが有名です。釜口水門の近くにも「天龍」「あら川」などがお店を開いており、うなぎのいいにおいが漂ってきます。
長野日報の記事 アホウ丸大会 
諏訪湖の治水 長野県のホームページ
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