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 寒天作りの風景1
左の写真は安国寺近くの寒天作り

2005.1.9撮影


      
        寒天作りの風景2
中央高速茅野バス停近くの寒天作り

諏訪から茅野にかけては「寒天」作りが盛んです。冬にJR中央線に乗ったり、国道20号線で茅野のあたりを通ると寒天を干している景色が見られます。

諏訪で寒天製造が始まったのは天保12,3年(1841-42)頃です。
諏訪郡玉川村穴山(現茅野市玉川穴山)に住んでいた小林粂左衛門という人が丹波の寒天屋に2年間ほど下男として住み込み製法を身につけて帰郷、穴山新田で寒天作りを始めました。

その後、明治時代に入り、明治4年には海外へも輸出。寒天製造業者の団結、寒天組合の設立、良質な寒天製造に努め、中央東線の開通により仕入れも容易になり、販路も拡大して、諏訪の寒天作りは急速に発展しました。

なぜ、諏訪で寒天作りが発達したかというと、
原料のてんぐさが伊豆・安房方面、糸魚川・直江津から入った
冬季の晴天日数が本州最大で製造期間が40〜50日と比較的長い
諏訪地方の冬の湿度・気温がともに低い
農閑期に人手があった。
などの理由によります。

昭和15年には1245トンの生産量を誇っていましたが、昭和20年には戦争のため228トンと激減しました。
最近では年中製造が可能な工業寒天が天然寒天の生産を上回っています。

心太と書いて何と読みますか?
 
「ところてん」と読みます。
ココロブト→ココロタイ→ココロテン→トコロテンとなったそうです。
ところで 「こごる」という言葉を知っていますか。漢字では「凝る」と書きます。
魚を煮たときに煮汁が冷たくなると固まりますが、それが「煮凝り(にこごり)」ですね。凝(こご)る天草→トコロテンではなかったですね。
 このトコロテンを凍結乾燥させたものが「寒天」です。
「ところてん」も「こごる」もパソコンでちゃんと漢字変換してくれます。


江戸時代に使用の寒天道具が茅野市八ヶ岳総合博物館に保存されています。

寒天作りが盛んなこと、諏訪が「塩の道」のルート上にあったことから「塩羊羹」が生まれました。下諏訪の「新鶴」は塩羊羹で有名です。
諏訪大社上社より諏訪湖寄りでは寒天作りはやっていないようです。
分かりやすいのは安国寺で、その隣で寒天作りをやっています。(地図→上社付近地図
また、中央高速茅野バス停の南側でも寒天作りをしていました。
他にもたくさんありますし、近くまで行くと広い田んぼで作業していますのですぐわかります。
自転車で行く場合はくれぐれも滑りやすい道に気をつけてください。
アグリネット 全国の特産品の紹介ページから「信州冬の風物詩」に飛んでください。約7分の動画です。
小林粂左衛門 長野日報の天竜川水紀行のぺージ。最初に諏訪で寒天作りを始めた人として紹介。
松木寒天産業 諏訪大社上社前宮近くにある寒天製造会社。
棒状の寒天のほか、寒天ゼリー、寒天スープなど健康志向の商品が市価よりも安く買うことができます。

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資料出典:「信州寒天業発達史」 矢崎孟伯著 銀河書房1993年発行