| レンタサイクル アトイーズ |
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| 概 要 | 諏訪藩の第二代藩主諏訪忠恒が父頼水の志を継いで寛永17年(1640)年に立てたもので、臨済宗妙心寺派の禅寺。 駐車場側に「温泉寺」と大書した石碑がある。これを左に見、石段を上がり、三門をくぐると正面に本堂、左に客殿・庫裏・鐘楼、石庭。右手に経蔵がある。本堂と三門は、明治二年に温泉寺が焼けたため、高島城から移したもので、三門は高島城の大手門、本堂は城中の能舞台であった。 客殿には梵鐘が県宝として展示されているが、この梵鐘は天正十年(1582)織田信忠の軍が伊那郡市田村(現高森町下市田)の安養寺から略奪して、上之諏訪(神宮寺)まで引きずってきて、そこへ捨てていったものを、温泉寺創立にあたって流用したものと言われている。 本堂の裏手には地蔵堂と多宝塔がある。多宝塔には諏訪上社にあった鉄塔が収められている。鉄塔といっても2メートルほどの石塔で、元来上社の御神体として崇められてきたが、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)のときにこの寺に移された。 ※廃仏毀釈 1868年神仏分離令が出され、これに伴って神社と仏寺との間に争いが起こり、さらに寺院・仏具・経文などの破壊運動が起こった。 ![]() |
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| 住 所 | 諏訪市湯の脇1-21-1 | |
| 電 話 | 0266-52-2052 | |
| JR上諏訪駅からデパート後ろの旧甲州街道に出て、下諏訪方面に向かうと、右に大きくカーブして道が二手に分かれます。 右手の坂のきつい道沿いには湯の脇公民館、職業訓練校がありますのでその前を通って登りつめると正面に温泉寺があります。 (最後の坂は自転車で登るのはややきついと思われます) ![]() |
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三門の下100mほどの道路脇に三棟の覆屋の中に祀られた三十三体の観音の石仏が並んでいる。これは高遠の石工として知られた守屋貞治(もりやさだじ)及びその弟子の作品で、形式化された中にも個性的な石仏である。貞治の石仏は地蔵尊、墓地(蔵六首座の墓)にもある。貞治(1765〜1832)は温泉寺住職願王(がんのう)和尚に彫刻技術と人物を愛され、長野県内だけではなく山梨県にも多くの石仏がある。諏訪氏の廟所(びようしょ=墓所)は寺の背後の斜面にあり、忠恒の石塔、廟の左手に五代忠林(ただとき)、七代忠粛(ただかた)、右手に四代忠虎(ただとら)、三代忠春(ただはる)、六代忠厚(ただあつ)、八代忠恕(ただみち)の石塔が並んでいる。 和泉式部の墓が諏訪家廟所手前左側にあります。 ※参考文献 「探訪・信州の古寺3」郷土出版社発行 1996年4月3日発行 |
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| 石の仏 | 山梨県の山の中にあるお寺 海岸寺のホームページ『山里の石仏』 守屋貞治についての解説があります。 |
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