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岡谷と諏訪市を結ぶ県道を通ると、山の尾根が諏訪湖に張り出しているところがあります。その尾根の上に竜光山小坂観音院があります。

一部のガイドブックでは「眺望最高の丘の上にある」などと書いてありますが、古木約190本に囲まれており、僅かに東屋から湖の一部が見られる程度です。しかし、その分、現代世界から隔離され、歴史の重さを感じさせるお寺です。また、行事のあるとき以外はほとんど訪れる人もなく、ひっそりと静かに時を刻んでいるお寺です。

(住所) 〒394-0044 長野県岡谷市湊4-15-22 Tel.0266-23-4458 Fax.0266-23-4427 

上諏訪から諏訪湖を時計方向に回り、ガラスの里の交差点を右折し、500mほど行くと、左側に「三和シャッター」の会社があるので、そこの細い道を左側に入る。その道を20m入ると県道と並行している旧道に出るので、それを渡って、どんどん水路に沿って登っていくと、右側に小坂観音院がある。なお、旧道から上は自転車では登れないので、適当なところに自転車を置いて登ろう。
・岡谷から諏訪湖を反時計回りに湖畔の側の道を通った場合は小坂市場という朝市の前を通り、味澤製絲という銀色の煙突が目印の工場の前を通り、「三和シャッター」の角から山側に入ります。

由布姫由来

由布姫は南信濃の豪族・諏訪頼重の娘で、人質として甲府へ移りました。後に父頼重を殺されましたが、仇敵信玄に15歳で側室として迎えられ寵愛を受けます。勝頼を生んだ後は諏訪に帰り、病の身となりました。この観音の森で静かな日々を送っていましたが、弘治元年(1555年)、25歳で愛児勝頼10歳を残して早逝されたと井上靖の「風林火山」に著されております。この観音堂は高島城に対面し、はるか甲州を望み、信玄の石棺が沈められたという湖底を眼前にして、「由布姫」にはゆかりが深く、姫の墓も戦国時代の悲哀を物語っております。(境内の「由布姫由来記」より。一部)
注)由布姫は1562年高遠にて亡くなり、建福寺に葬られたとの記述(高遠の歴史)もあります。

由布姫の供養塔


この小坂観音院は湖衣姫、由布姫、諏訪御料人とも呼ばれる武田信玄の側室を祀ってあり、境内には供養塔が建てられています。

観音院の自然
小坂観音院の林は岡谷市天然記念物に指定されています。

説明では「荘厳さを保つため、草木の伐採をせずに自然を保ってきた。多くのカエデ、ナラ類が自生している。全山には約190本の古木があり、サワラ並木は樹齢400年以上である。」
「ブッポウソウは、東南アジアからの渡り鳥で、個体数が少なく、神社仏閣等の古木に巣づくりするという特性があり、繁殖地は全国的にも少ない。頭、風切り羽、尾羽の大部分は黒色、その他の部分は美しい青緑色で、嘴(くちばし)・脚は赤い。当院のサワラに昭和50年頃から、5月中旬になると飛来し、育雛して立秋頃飛び去っている。霊鳥として名高い。
」とあります。

弘法大師が御手植えされたという柏槙(びゃくしん)の大樹も手厚く保護されて立っています。

また、アジサイでも有名で7月中旬頃にはきれいな花を見ることができます。

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