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魁塚(さきがけづか)は別名相楽(さがら)塚とも言われます。
徳川軍追討の先鋒として江戸を目指した赤報隊でしたが、薩長新政府は無情にも彼らを偽官軍として切り捨てる手段に出ました。
慶応四年(1868)三月三日氷雨の降りしきる信州下諏訪宿で、薩摩藩の画策する江戸市中攪乱(かくらん)作戦を実行し鳥羽伏見の戦いへの導火線に火を点けた男、相楽総三率いる“赤報隊”の幹部たち八人の男たちが“偽官軍(にせかんぐん)”として処刑されました。年貢半減令を布告し、民衆の支持を得て江戸へ進軍する赤報隊に年貢半減を翻す官軍総督府が口封じを行った事件です。
この塚は相楽総三らの悲運な死に涙する同士らが明治三年に建てたものです。総三の死後、総三の孫にあたる木村亀太郎氏は生涯をかけて、祖父の無実の罪を晴らそうと決意。仕事の傍ら苦労を重ね、昭和三年(1928年)、昭和天皇の即位に伴う御大典により、総三に正五位が贈られました。総三の死から六十年後のことでした。
毎年、4月3日に魁塚で「相楽祭」が催され、神式の慰霊祭が行われています。
住所:下諏訪町魁町5363
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